日本の職務発明制度:外国籍技術者の権利、義務、契約の注意点
はじめに:この記事でわかること
日本で技術開発や研究に従事されている外国籍の皆様にとって、ご自身の発明が「職務発明」に該当するかどうか、またその場合にどのような権利や義務が生じるのかは重要な関心事の一つかと思います。特に、長年日本で働き、キャリアを積み重ねていく中で、企業の知的財産戦略や雇用契約の内容が、ご自身の発明活動や将来のキャリアに影響を与える可能性も十分にあります。
この記事では、日本の特許法における職務発明の基本的な考え方、外国籍技術者が知っておくべき権利と義務、そして雇用契約や企業の発明規程を確認する上での注意点について、分かりやすく解説します。
職務発明とは?日本の特許法における基本概念
職務発明の定義
日本の特許法第35条では、「職務発明」について以下のように定義しています。
- 従業者等がした発明であること: 会社の役員や従業員、その他事業所の業務に従事する者がした発明である必要があります。
- その性質上、使用者等の業務範囲に属する発明であること: 企業が行っている事業や研究開発の分野に関連する発明である必要があります。
- その発明をするに至った行為がその従業者等の職務に属すること: 日々の業務の一環として行われた発明である必要があります。
これらの要件をすべて満たす発明が「職務発明」とされ、特許法上の特別なルールが適用されます。
なぜ職務発明のルールが重要か?
職務発明は、従業員が会社の資源(設備、資金、情報、他の従業員の協力など)や業務を通じて得た知識・経験を活用して行うことが多く、その成果である発明は、企業活動と密接に関連しています。一方で、発明そのものは、従業員個人の創造的な活動によって生まれるものです。このため、発明者である「従業者等」の権利と、使用者である「使用者等」(企業など)の権利のバランスを取るためのルールが必要となります。
職務発明に関する基本的なルール(特許法第35条)
特許法第35条は、職務発明に関する基本的なルールを定めています。
「特許を受ける権利」と「特許権」
発明が完成すると、まず「特許を受ける権利」が発生します。これは、その発明について特許出願を行い、特許権を得ることができる権利です。この権利は、原則として発明をした人(発明者)に帰属します。つまり、職務発明の場合、発明をした従業員に「特許を受ける権利」が原始的に発生します。
「特許権」は、特許庁への出願・審査を経て、特許査定を受けて設定登録されることで発生する、独占的に発明を実施できる権利です。
使用者等への承継
特許法第35条では、職務発明について、契約や勤務規則(就業規則や発明規程など)にあらかじめ定めることで、従業員が持つ「特許を受ける権利」や「特許権」を、使用者等(会社)が取得する、または会社のために専用実施権(独占して発明を実施できる権利)を設定できると定めています。多くの企業では、職務発明に関する特許権等は会社に帰属する、とする規程を設けています。
これは、企業が研究開発に多大な投資を行っている実態を踏まえ、生まれた知的財産を企業が適切に管理・活用できるようにするための仕組みです。
発明者への「相当の利益」
使用者等が職務発明に関する特許を受ける権利や特許権を取得した場合、発明者である従業者等に対して「相当の利益」を支払わなければならないと定められています(特許法第35条第3項)。
この「相当の利益」は、金銭的な補償(報奨金、給与の上乗せ、退職金の増額など)である必要はなく、非金銭的な利益(昇進、表彰、海外研修の機会付与など)であっても構いません。ただし、金銭的な利益が支払われることが一般的です。
「相当の利益」の内容や金額は、企業の Invention Policy(発明規程)や雇用契約に定められていることが通常ですが、その内容は、発明によって使用者が得た利益の額、発明に関連して使用者が行った研究開発への寄与、発明者の処遇などを総合的に考慮して決められるべきとされています。2015年の特許法改正では、この「相当の利益」に関する企業と発明者の間の紛争を減らすため、「使用者等は、相当の利益を与えるべきこと及び相当の利益の内容を決定するための基準について、使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等を考慮して定めなければならない」とされ、企業は「発明規程」において「相当の利益」の決定基準を明確に定めることがより強く求められるようになりました。
企業の発明規程と契約の重要性
多くの日本企業では、職務発明の取り扱いに関する詳細なルールを「発明規程」や「職務発明規程」として定めています。
- 発明規程とは何か?
- 職務発明の定義、会社への届出義務、権利の会社への承継(譲渡)、会社から発明者へ支払われる「相当の利益」の算定基準や支払い方法などが具体的に定められています。
- 「相当の利益」に関する規定
- 具体的な報奨金の計算方法(出願報奨、登録報奨、実施報奨など)、非金銭的利益の内容などが規定されています。この規定が、特許法に照らして「相当」といえる内容になっているかどうかが、後々紛争になった際の重要な論点となります。
- 雇用契約や誓約書における注意点
- 入社時の雇用契約書や別途提出を求められる誓約書などで、職務発明に関する権利の帰属や秘密保持義務について合意を求められることがあります。これらの文書で発明規程を参照している場合、発明規程の内容をよく理解しておくことが重要です。
外国籍技術者が知っておくべき権利と義務
日本で働く外国籍技術者として、職務発明に関して以下の権利と義務があります。
発明者としての権利
- 相当の利益を受ける権利: 職務発明に関する権利が会社に譲渡された場合、会社から「相当の利益」を受け取る権利があります。
- 発明者として氏名が表示される権利: 特許公報や特許証には、発明者としてあなたの名前が記載されます。これは人格権の一部であり、会社が勝手に消すことはできません。
社員としての義務
- 会社への通知義務: 職務上行った発明について、会社が定める規程に従い、速やかに会社に通知する義務があることが一般的です。
- 会社への権利譲渡義務: 契約や規程に基づき、職務発明に関する特許を受ける権利や特許権を会社に譲渡する義務があることが一般的です。
- 秘密保持義務: 職務上知った会社の技術情報や秘密情報、あるいは自身の発明の内容についても、会社から指示がある場合や、契約・規程に定められている範囲で秘密を保持する義務があります。
退職後の秘密保持義務
雇用契約や誓約書、就業規則には、退職後も一定期間、会社の秘密情報を保持する義務が課されていることが通常です。これには、職務発明に関連する技術情報やノウハウも含まれます。この義務に違反すると、損害賠償請求などの対象となる可能性がありますので、退職後の取り扱いについても十分に注意が必要です。
「相当の利益」の具体的な内容とトラブル事例
「相当の利益」は、企業によってその算定方法や内容が異なります。
- 金銭的な利益:
- 出願報奨・登録報奨: 特許出願時や特許登録時に定額または算定式に基づいて支払われる報奨金。
- 実施報奨: 特許発明が実施され、会社が利益を得た場合に、その利益や売上の一部に応じて支払われる報奨金。これが「相当の利益」の最も大きな部分を占めることがあります。
- その他の報奨: 海外特許出願時の報奨、発明が表彰された場合の報奨など。
- 給与・退職金への反映: 発明への貢献が、給与や退職金の額に反映されることも「相当の利益」の一部とみなされることがあります。
- 非金銭的な利益:
- 昇進、昇給、表彰、研究費の増額、希望する部署への配置転換、海外研修の機会付与など。
「相当」性の判断基準
「相当の利益」が特許法上「相当」と言える内容になっているかは、以下の要素を総合的に考慮して判断されます。
- 発明によって使用者等が得るべき利益の額
- その発明に関連して使用者等が行った研究及び開発に要した費用、従業者等の貢献度
- 契約や勤務規則等における相当の利益を決定するための基準の作成に関し行われた使用者等と従業者等との間の協議の状況
- 相当の利益の内容について定めるところにより行われた相当の利益の内容を決定するための状況
特に、会社が発明によって得た利益(収益、コスト削減など)は、相当の利益を算定する上で重要な要素となります。
よくあるトラブルとそのリスク
職務発明に関するトラブルとしては、以下のようなケースが挙げられます。
- 「相当の利益」の額に納得がいかない: 会社が提示する報奨金額が、発明の貢献度や会社の利益に比べて低すぎると感じる。
- 職務発明の認定に関する見解の相違: 自身が行った発明が、会社からは職務発明と認められない、あるいはその逆のケース。
- 権利帰属や秘密保持義務に関する誤解: 契約や規程の内容を十分に理解していなかったために生じる問題。
- 退職後の技術使用に関するトラブル: 退職後に、以前の職務で得た知識や技術を新しい職場で活用する際に、前の会社から秘密保持義務違反や不正競争防止法違反を指摘される。
これらのトラブルは、会社との関係悪化を招くだけでなく、場合によっては訴訟に発展する可能性もあります。
職務発明に関するトラブルの予防と解決策
職務発明に関するトラブルを予防し、適切に解決するためには、以下の点に留意することが重要です。
- 契約・規程内容の確認: 入社時や異動時などに、職務発明規程、就業規則、雇用契約書、誓約書などの内容をよく確認し、理解しておくことが最も重要です。特に、「相当の利益」に関する算定基準や支払い方法、会社への通知義務、秘密保持義務の範囲などを確認しましょう。不明な点があれば、会社の知的財産部門や人事部門に説明を求めることをためらわないでください。
- 発明の会社への正式な通知: 職務上、発明や考案をした場合は、会社の規程に従い、指定された書式で遅滞なく会社に通知することが義務付けられていることがほとんどです。通知を怠ると、後々権利主張が難しくなったり、会社からの利益を受ける機会を失ったりする可能性があります。
- 疑問点があれば専門家へ相談: 発明規程の内容が分かりにくい、会社からの「相当の利益」の提示額に疑問がある、退職後の技術使用について不安があるなど、専門的な判断が必要な場合は、一人で悩まずに専門家へ相談することを検討してください。
- 弁護士: 契約内容の解釈、会社との交渉、損害賠償請求など、法的な紛争解決や権利に関する相談に乗ってくれます。
- 弁理士: 特許制度全般、特許出願、権利侵害など、知的財産権に関する専門家です。技術的な内容を含めた発明の評価や、権利の有効性に関する相談が可能です。
- 相談窓口の例:
- 日本知的財産仲裁センター: 職務発明に関する使用者等と従業者等との間の紛争について、仲裁やあっせんなどの手続きを提供しています。裁判よりも迅速かつ柔軟な解決を目指すことができます。
- 弁護士会や弁理士会の法律相談: 無料または有料で専門家による法律相談を受けられる場合があります。お住まいの地域の弁護士会や弁理士会のウェブサイトをご確認ください。
- 法テラス(日本司法支援センター): 経済的に余裕がない場合は、無料の法律相談や弁護士費用の立替え制度を利用できる可能性があります。
まとめ
日本における職務発明制度は、従業員の発明活動を促進しつつ、企業がその成果を適切に活用するための重要な枠組みです。外国籍技術者として、ご自身の発明が職務発明に該当する場合に、どのような権利(特に「相当の利益」を受け取る権利)があり、どのような義務(会社への通知、権利譲渡、秘密保持など)があるのかを正しく理解しておくことは、日本でのキャリア形成において非常に重要です。
雇用契約や企業の発明規程の内容を十分に確認し、不明な点や疑問点があれば、会社の担当部署に問い合わせるか、必要に応じて弁護士や弁理士といった専門家に相談することを強くお勧めします。ご自身の創造的な活動が、日本で正当に評価される一助となれば幸いです。
より詳細な情報や個別のケースに関する判断については、必ず関連機関の公式サイトをご確認いただくか、専門家にご相談ください。